
- 地元のみならず全国・世界までをも舞台に活躍する経営者や芸術家など、高知の名士と呼ぶに相応しい人物に直接インタビュー。彼らが何を見つめ、何を想い、どう歩んで来たのか…。その深い人生観から自分らしく今を生きるためのヒントを感じとってください。

芝 幸太郎 氏
しば こうたろう
夢を決してあきらめない。
『人生、男も女も修行じゃないですか』株式会社デジタルマーケット 代表取締役社長
株式会社オフィスフォーティーエイト 代表取締役社長
株式会社グラッシーズ 代表取締役社長
出身:1973年 高知県
尊敬する人物:坂本龍馬
将来の目標:グループ事業での世界進出
好きな言葉:一期一会 インターネットと映像、動画表現の融合に よる新しい表現ツールやソリューションの提案の他、3D仮想空間 「Second Life」においてはコンテンツ制作の第一人者としての地位 を確立。芸能界、飲食業会においてもその才能を遺憾なく発揮している。

- 高知県出身の芝氏がどのような人生を経験して現在に至ったのか…その経歴や生き方、仕事に対する情熱など、 その時々の思いを交えて語ってもらった。出身地でもある高知県四万十市(旧幡多郡十和村)の中学校を卒業した頃から話は始まる。旧十和村と言えば、山や川などの自然に恵まれたのどかな場所。芝氏は少年時代を思い返し、懐かしそうに話してくれた。 「私は高知県の西部にある旧十和村から、高知市内にある高知商業高校へ進学しました。当時は何もかもが新鮮で、刺激のある高校生活を日々送っていましたね。地方からの進学でしたから高知市内に下宿をしてました。下宿先の思い出や友人たちとの思い出は数えきれません。この頃は皆さんも同じだと思いますが毎日を楽しく過ごしていましたよ。ですから高校生活の3年間はあっという間でしたね。」

- 高校を卒業後、とうとう社会へ踏み出す事となる。「高知県の旧香我美町(現香南市)にある、半導体を製造する工場で働き始めた。この頃は特になりたい、やってみたい、という仕事は具体的になくて、とりあえず社会に踏み出したというんが正直なところです。工場という事で制服は作業着。約半年ほど勤務していたのですが、今度はスーツを着ての仕事という物を経験してみたくなり、転職をする事にしました。月収20万以上という仕事を探し、条件に合うのが金融の営業職だったんです。企業へ融資をするという内容で、自分にも勉強になると思い就職を決意しました。」 芝氏も最初から明確な道を見つけていた訳ではなく、実際に働いてみて初めて自分の方向性が見え、少しずつ現在のスタイルに近づいていったのだ。この時が芝氏の人生の中でも大きなポイントとなる時期だったのではないかと記者は考える。

「営業マンとして働くに際して、自分自身に目標を与えるという事は大切ですよね。」 芝氏は真剣な表情でそう語る。社会としてのノルマや目標はどの企業にもある。しかし自分自身に対してどのような目標を与えるかは個々それぞれの問題であり、確実に個人差が現れるだろう。
「この頃は将来自分が経営者になろうと決めていましたから、業種・業態別に営業を行い、さまざまな企業を訪問しました。それによって自分の描いていた営業者とは別の角度から企業の社長像というものが見えてきましたね。」 社長は資金繰りを主な業務にしている…いや、その業務こそが社長の仕事だと思った、と芝氏はいう。少なからず業務であるし、確かに未来の業務の一つだろう。 「基本的に融資を受ける方は運営や経営に苦労されていますね。そのような方々と接することで、企業の社長というものは本当に大変なのだという事を考えさせられました。この時に、まずはサラリーマンとして一流になろうと思いました。」
多くの事を学びそれを生かすことで自分の考え方を柔軟に変化させる芝氏は、同社広島支店へ渡り次のステップへと上がっていく。

「まずは営業の基本から始めました。電話帳を片手に何件も何件も営業の電話をしました。そして、ただ単に融資の話を進めるのではなく各取引先ごとに有益な融資資金の活用などについて様々な視点から対策を提案してきました。」驚くことに芝氏は、この時期から経営コンサルタントとしての能力まで発揮していたのである。これは会社の営業戦略や方針ではなく、芝氏個人の考えで行っていたことだという。営業マンならば融資さえ行えば業績に繋がるしノルマも達成できる。しかしそれだけにとどまらず、このような新しいアプローチを試みたというのは流石だ。「基本的に金融業は回収できないと利益は出ません。貸し倒れや不良債権など会社にとって大きな打撃となります。ですから、返済方法や活用方法について融資先の社長さんたちと一緒になって考えました。会社自体の運営がままならないと、返済も不可能になってきますからね。」
与えられたチャンズを最大限に活かし、本来持っていた営業センスを開花させた芝氏は、広島支店着任2ヶ月、弱冠21歳で西日本トップの営業マンへと成長する。その実績を評価され、同社が山口県に支店をオープンさせる際、なんと22歳という若さで支店長として抜擢されたのだ。この支店でも就任2ヶ月で月間利益1,000万円という業績を残す。これは会社始まって以来の最速記録だそうだ。当時を思い出し、少し照れながらこう続ける。
この頃の支店数は、ざっと200店舗。その中でこの実績を1年維持したこともここで付け加えておこう。当時芝氏は22歳…本当に驚きである。その後、本部のある東京へ仕事の場を移す。
「東京の目黒、世田谷、青山地区のブロック長を兼任し、渋谷支店の支店長として着任しました。 部下は約150名。当然結果を出さないと認めてはもらえませんので、約3ヶ月後には全国トップになりました。」こうして常に一流の営業マンとして着実に結果を残してきた芝氏に、あるとき突然の転機が訪れる。

「エステ業界で成功されている融資先があり、そこの社長にノウハウを教えていただきました。時期的にもそろそろ自分で起業するか、など考えていたときでした。」 そんなきっかけから1,000万円を資本金として「エステ業界」に進出することになったのだ。 そして、エステ運営にあたり芝氏が貫いた「三原則」について話は進む。
「この時期の『会社の三原則』とは、まず来店客に営業をしないこと。料金体系を明確化すること。従業員にもお客様にも安心感を持ってもらうこと。この三つでした。」 「営業をしない」というのは、オープンにあたり女性の方々にエステ業界についての印象などをリサーチした結果、「何かを売りつけられるというイメージが強かった」など、販売目的での営業のイメージがあるという意見が多かったからだと話す。「料金の明確化」という点にも女性の意見が反映されている。そしてお客様はもちろん、従業員にも安心感を持ってもらえれば営業は成り立つと判断したのだ。結果、口コミで評判が広がり、3年後には予約でいっぱいという成功へと繋がっていく。
この三原則は、先を読む力・瞬時の判断力・行動力などこれまでの芝氏の経験や体験から培われた力によって導き出された答えだと理解できる。それに加えて出会いを大切にし、人の気持ちを大切にする、そんな彼の人柄によって成り立っていたのではないだろうか。
その後、他県のとあるエステ店でお客様に怪我を負わせてしまうという事故が起こり、業界全体に影響を及ぼした。このこともあり芝氏は大成功を修めたエステ会社を売却することを決めたのだという。

- 29歳でエステ会社を売却した芝氏は、自分への慰労と新たな世界を見るために日本を発つ。 「社会に出てからノンストップで走ってきましたから、この時点で一度自分を見つめなおすつもりで、1年かけて世界各国を周りました。少々の無茶もしましたけど得たものは多かったですね。」 そう話す芝氏の横顔には、数々の成功を成し遂げてきたという自信とともに、これからさらに飛躍するための場を探す挑戦者のような力強さが溢れていた。
「日本に帰ってきて株式会社オフィスフォーティエイトを設立しました。様々な理由がありましたが、人に喜んでいただける仕事をやっていきたいという気持ちがベースにあって…それは今でも変わらず続いています。」

帰国後、芸能プロダクション「株式会社オフィスフォーティエイト」を設立。TV、ラジオ、雑誌など多方面に渡り活躍の場を広げている「AKB48」を世に送り出し、女性グループとしては「モーニング娘。」以来史上6組目となるデビューシングルオリコンチャートトップ10入りを果たす。2ndシングル以降も常にチャートの上位にランクインし、最新発売曲「僕の太陽」はオリコンチャートデイリー2位、ウィークリー6位を記録。その他にも、3人組ユニット hocolove flom AKB48、4人組ダンスミュージックユニットTHREADや、東京タワーのイメージガールを務めるモデルの遥香など、多くのタレント・アーティストを搾し、芸能界においてもその才能を遺憾なく発揮している。
さらに30歳という節目の時に、現在の核となっている会社、「株式会社デジタルマーケット」を設立。インターネットと映像・動画表現の融合により、既存のメディアや表現方法の枠を超えたブロードバンド時代にふさわしい表現ツール、効果的なソリューションの提案を行う。TV番組、CM、企業向けIR映像、 WEB動画、ウェディング映像、DVD、楽曲の制作に加えて、本年より話題の3D仮想空間「Second Life」にいち早く参入。仮想空間内に東京タワーを建設し、NTTDoCoMoをはじめSecond Lifeに参入する数々の企業のトータルサポートを行い、次世代コンテンツ制作の第一人者としての地位を確立している。他にも、空間演出「IKEPOCHA」の開発・提案などを行い、IT業界においてオピニオンリーダーとしてとして活躍している。さらに、今年設立した株式会社グラッシーズでは、六本木にエンターテイメント型飲食事業を展開すべくプロジェクトを進行中だ。

ここまで駆け足で芝氏の経歴や経験についてインタビューさせていただいたが、最後にご自身について伺ってみた。
「こうして自分を振り返ると、『出会い運』というものに恵まれていたと感じますね。たくさんの人たちと出逢い、お互いに助け、助けられて今があると思います。今後においてもこの「人と人との出会い」というものを大事にしていきたいと思っています。それから自分の中には「最後まであきらめない」というこだわりというか信念があります。自分にプライドを持ち、甘えずにこれからも「修行」を続けていきたいですね。」『人生は、男も女も修行じゃないですか』と、さらりと言った芝氏。常に自分自身を客観的に見つめ挑戦していく姿を、今回のインタビューの中で垣間みることができた。そして強く感じたことがある。彼のメッセージを少しでも多くの人に聞いて欲しいということだ。
直接話を伺ったからといって明日から同じように頑張れるのかと問われると、記者にその自信は全くない。そして同じように挑戦したからといって、必ずしも成功するという保証はどこにもない。しかし、その並外れた才能や華やかな生活に対してただ「羨ましい」と指をくわえているのか、それとも彼の言葉から何かを得て、自分にできる小さなことからでもいい、意識を変えてやってみようと思えるのか… そのどちらを選択するかによって、これからの人生が大きく変わる気がした。
最後に・・・
大変ご多忙な折にもかかわらず取材を快諾してくださったこと、そのうえご自宅を拝見したいという無理なお願いを、笑って受け止めてくださったことなどなど…芝氏の広いお心には取材陣一同感激し感謝の気持ちでいっぱいになった。芝幸太郎さま、本当にありがとうございました。
じばさんネット一同















